開拓クライマーへの提言

※批判的な内容が多いが個人への誹謗中傷の意図は含みません。開拓クライミング文化への批評としてお読み下さい。
どうもクライミング界の福田和也です。
先日ボルダリングに出かけた際に目を覆うような出来事があり、これは看過できないということでこの記事を書いているわけです。私の意見は絶対ではないし、ここに書かれていることが完全に裏が取れた事実かどうかを証明する方法もありません。開拓する人もそうでない人も、どうか穿った視点で、できれば忌憚なく意見を聞かせてくれるとありがたいです。
クライミング界の山口一郎
「クライミング界には批評家がいない。だからコンテンツとして弱い。」
クライミング界のみのミュージック
「俺の出番か」
クライミング界のダウ90000蓮見
「クライミングってそんな流行ってないですよ?批評する価値もないんじゃないですか?」
クライミング界の霜降り明星粗品
「スカしたらあかんよ?」
経緯
3月某日。関西某所へ(念の為特定につながる情報は制限することにしました)。
2023年くらいから、最初は沢登り、去年からはボルダーのネタとして細々と通ってきた谷へ。
谷の入り口にある本丸はどう易しく見積もっても四段の範疇に収まってなさそうで、昨年に敗北宣言。
寒くなってからお馴染みババにネタ見せを行ったところ、先日見つけていなかったハイボルを発見。
下地は悪いがなんとか登れるだろうということで、可能性を探るべく再訪。

重要なキーホールドが欠損したりなどしたが、なんとか可能性のあるムーブを見つけ出した。
だがあまりにも寒かったので例によって岩探しへ。岩は小粒だが時折惜しいルーフが現れて気が抜けない。

顕著な強傾斜の面にホールドを発見。チョークがついていた。スタートからの遠い一手は相当面白そうだが抜けが悪い。抜けたら三段あるのでは。抜けの掃除の仕方から、初登はされていないと予想。
この谷も微かに人の手が入れられた匂いがしていたが、やはり開拓の手は回っているようである。
上流にある、3年ほど前に僕が初登して以来リピートがない(トライされていない)激渋の2級にババを案内。そのあまりのしょぼさに食指が動いていなさそうだったけど、強引に焚き付けて登ってもらった。見た目に反するそのあまりの”シブさ”にババも溜飲を下げてくれたようだ。
その後、下流に向かって歩いていると山側に怪しそうな岩を発見。ババと顔を見合わせる。さっきの2級で時間を食ったし、ぼちぼち歩き疲れてきた。正直もういっかなと思っているとババが一言
「まー行っとくかー!」
こと岩探しとなるとアツい男である。僕も大いに奮い立つ。ほとんどの場合ハズレなんだけど、そこを行くのが我らの道!
と思っていると、何やら岩の下がえぐれていて、何かありそうな雰囲気、、、
これは???











・1つのホールドに引かれたティックマークは最大10本。消そうとした形跡はなし。
・水平のガバ地帯にも堆積したチョーク。
・クラッシュパッド、掃除用具、ロープやハーネスの類、コーヒー等の嗜好品とそれを作る用品、銀のアルミ缶2つに詰められた書籍、手作りのクラックトレーニング用品が残置。
・「岩小屋文庫」と称し、書籍やクライミング用品を残置する大義にしている模様。
・アルミ缶に手記あり。
・開拓は2025年から。
・知人を複数人招待して、岩を案内している模様。
・文面からは、知人らはクライミングへの造詣が深くないことが読み取れた。開拓者を尊敬し、案内を感謝しているよう。「カンチェンジュンガ登攀」を引き合いに出したり、沢の側壁(15mくらいの崩落跡)を、ヒマラヤの大岩壁に通ずるものとして形容していたりした。
・文面に「削られたホールド」との記載があったがチッピング行為があったかは不明。岩が剥がされた形跡はあるが、浮いているものを落とした範疇かと思われる。
・開拓者はおそらくガバ棚のトラバースをトライしているものと見られる。つまり、ルーフ内のティックは全てスタンスとして使用していると予想。
客体から
①土地の所有者
これに関しては分からない。少なくとも国有林ではなさそうだけど、私有地なのか、所有者は誰なのかはすぐに分かるものではない。当然、開拓者の私有地という可能性もゼロではない。
②残地物について
自然界にとっては異物であり、明確にゴミだと言わざるを得ない。これはどんな残置物も例外ではない。私もアプローチに1時間以上要する岩場で難しいルートをトライしていた時に、土日で続けて行く場合はギアを残置したことがあった。これも、私がどこかで死ねばそのまま放置されるので、岩場に残してきた時点で、ポイ捨てされたゴミと明確な区分は存在しない。
Dreamcatcher 5.14dやSingularity V15などがあるSquamishの”room”と呼ばれる場所にも大量の残置パッドがある。ボルダラーは大いに助かっているだろうが、これも広義にはゴミと言えるだろう。歴史やルートの内容は関係ない。

③ティックマークについて
少なくとも私の記憶では、1つのホールドに10本というティックは見たことがない。実際でも、映像でも、である。不要なものだと言わざるを得ない。よしんばそのティックを引く大義が開拓者にあったとしても、トライが終われば消すべきだろう。一度開拓に着手したからといって、その岩がその個人によって私物化されていいはずが無い。
ちなみにティック以外にも、ガバ棚には手で触れなさそうなところまでチョークで真っ白になっていた。過剰である。
④ロースタートについて
ルーフ内からスタートしてガバ棚に合流するラインは課題として成立している。細かいホールドからガバに大ランジになるだろうし、どんなに易しく積もっても三段はある。四段の範疇に収まっていないかもしれないので私にできるかは分からないが、少なくとも人類には可能である。
私の意見
あまりにも愚かで最低な行動である。最早クライマーを名乗る資格など貴方には無い。自分のやっている行為がクライミングという文化の積み上げられてきた文脈の中でどのような意味を持つのかが分からない、考えられないのなら、迅速にこの世界から去るべきである。
極めて醜い、老害行為であると言わざるを得ない。
重ねてリマインドしておくがこの文言は私の個人的な感情論によって発されている。
だからあえて言う。私は怒っている。あまりまっすぐにこの立場を表明することなどそうそう無いが、怒り心頭に発するといった有様である。
でも私は言葉を諦めたくはない。
諦めたくないからこそわざわざこうして文章を書いているのである。私には対話する余地がある。
私はこの谷に期待をしていた。全く何の前情報もなく、自らの勘と足だけで貴方のプロジェクトを発見した。先に手がつけられていたのは仕方がない。早い者勝ちはこの世界の通例で、私もそれに異論はない。後から来た人が貴方のプロジェクトを見てどう思うか。なぜ貴方ほどの人生経験とクライミングキャリアがあって、それが分からないのか。分からないなら私が教えてあげよう。おかしいと思ったら声をあげよう。そう、これを読んでいる、「俺は開拓しねぇしな」と思っているそこのお前。クライミングをしている時点で、これを読んでいる時点で、全員が押し並べて当事者である。「俺には関係ない」の論法は私には通用しない。
先ほど文脈という話をした。アートにはコンテキストという言葉がある。
現代の難解なアートの最先端への私の理解を述べる。最先端のアートとは、これまでアートとされてきた領域の一番外側で、境界のギリギリ外側を先んじて表現することでそこをアートと定義付け、これまでのアートとされてきたものの領域を拡張する行為だと思っている。もちろんこれはアートに限らず、文化というのは概ね似たような熱意でその可能性を拡大していった。
このギリギリ外側というのが大事である。これが領域から離れすぎているとダメで、ただの異端なものになってしまう。だからギリギリ外側なのである。そして、どうすればそこが領域の外側なのか、境界線からの距離がギリギリかどうかを理解するのに必要なのがコンテキストというわけである。
コンテキスト〔context〕:文章などの前後の脈絡。文脈。コンテクスト。
Oxford Languageより
アート界でのコンテキストとは、過去どのような思想で芸術行為が行われ、自分の制作がどの文脈に則っているのかを説明するために使用される。特に北米のアーティスト達は、このコンテキストがないと制作が成立しないとまでいうものもいるみたい。要は、過去の文脈や脈絡を見なければ自分の発想に新規制があるかどうかも分からないし、新しい価値観を生み出すことも難しい。そして、それはある種の芸術性を孕んだカルチャーであるクライミングにも同じことが言える。
クラミングはカルチャーである。少なくとも自分はそう思っているし、あるかないかの帰属意識で何とかその文脈の中に自分を置こうという努力はしているつもりである。クライミングという娯楽を通して、より良い生き方や新しい価値観を創造しようと頑張っている。そのためには、過去の偉大なクライマーが何を考え、どのような信念でこの文化を作り上げていったかを知ることには貪欲でありたいと願っている。
何か新しいことをしたいと願うのは大いに結構である。その結果誰も登っていないラインを初登したいと願うのは自然な流れだと感じる。それは人間の原初の欲求に近い。だがそれが、過去に積み上げられてきた脈絡に何の関心も持たずに行うと、それは負のアウトプットになりかねない。今回だって、クライミングと銘打たずに「炭酸マグネシウムぺちぺち壁画遊び」とかいう新しい娯楽を確立しようとしているなら、それは分野対分野の論争になる。私はクライミング界代表としてぺちぺち界の論客と戦わねばなるまい。これを開拓”クライミング”と呼ぶなら、自らをクライマーと呼称するなら、私はクライミングという脈絡の中で大いに闘わさせてもらう。これは私が当事者としてこの文化を保存していくための闘争である。
「巨人の肩に立つ」というニュートンの有名な言葉がある。芸術も、スポーツも、冒険も、アカデミックも、あらゆる文化は過去に積み上げられた巨大なものに敬意を持ち、理解することで初めて新規性というものが生じ、新しい価値観を生み出してきた。クライミングにおいて、初登する、開拓するという行為はパイオニア的行為である。文脈を顧みないことは自分よがりの自慰行為と何も変わらない。自分勝手に何をしてもいいわけではない。
もう一つ重要なことがある。
この素晴らしい岩にはロースタートの可能性が残されており、完成すれば細かいホールドからの超ダイナミックな動きを強いられる、関西でも有数の高難度課題になるかもしれない。だがあの岩の有り様を見てどうやってトライしようと考えるのだろうか。高難度への打ち込みというのは精神的な負荷も高く、対象へどれだけ感情を込めれるかが成果につながるキーとなる。あんな物を見せられては力が出ない。
また、個人的な感情論というところで話させてもらうと、初めにやっていた下流のトトロPでさえ、我々はやる気を失ってしまった。いかにハイボルとはいえ、たかだか初段か二段かそこらのボルダーだろう。登ってもクライミング界で高い価値を持つとは到底いえない。だからこそ私たちは自分たちの体験の質を向上させることにのみ重きを置いてそういった活動をしている。他人の行動で私たちの体験が阻害されたら、それは広義な意味での人権侵害である。
開拓クライマーへ
今回はたまたま閾値を過ぎた酷すぎる行為が明るみに出ただけで、最近の開拓の過剰性には私は常々危機を感じていた。違和感を抱えながらも声を上げない腑抜けが多いので、いつか私が言わねばならぬと思っていた。正義のヒーローを気取る気は毛頭ないが、声を上げないと彼らは一生気付けない。
開拓クライマーよ。もう一度考えてほしい。
その看板は本当に必要か?
過剰な下地整備は?浮石除去は?自然の造形を無視した御殿の廊下のようなアプローチ整備は?伐採は?掃除は?ベンチは?クラックの横のボルトは?アップルートは?ボルト3本の5.9は?講習会ルートは?ボルトを連打した10台のマルチは?
ここ数年目にする開拓の事例は一段と過激さを増しているように見えて心配でならない。
ある程度影響力のある人物や、ガイドやブランドのアンバサダーのような立場のある人間がこれをやると、何も知らない人はそれが正しいと思ってしまう。文化は拡大方法を誤るとたちどころに衰退する。私みたいな野良のプレイヤーではなく、貴方達は人の手本になる存在かもしれない。それを忘れてはならない。
かくいう私もクライミングキャリアの初期に大きな開拓のプロジェクトに参加したり、経験豊富な開拓クライマーと行動することが多く、「開拓あがり」の人間であると言える。貴方達の心境は理解しているつもりである。
全く手付かずの自然を保存しろとは言わない。人の営みの中で自然に手が加えられるのは悪いことではない。精神性だけ過度に追求して、全員がブラシ片手に倉上慶大を目指さなければならないというのはナンセンスすぎる。
だからこそ私が。そんな私が、あえて中立な立場として今回声を上げたい。
過剰であると。
言いたくて言ってるわけではない。無償で6000字を書いて他人との関係に波風を立てるこんな行為をしたいわけではない。必要性に迫られて書いているんです。
開拓クライミング全体に関わる話は長くなりそうなので抽象的な表現に留めておくことにしました。
TAKE HOME MESSAGE
プラットフォームを持とう。
ソーシャルメディアは情報の拡散能力だけは高いが、思想を体現する場所ではない。物事には適正というものがある。ソーシャルメディアでは批評はすぐに誹謗中傷やプロパガンダにすり替えられてしまう。しかも本来その役割を担うはずの日本のクライミング専門誌は全くの低脳でまるで機能していない。だからこそそれぞれがしっかりした発信の基盤を構築する価値は高い。そうして一人一人が理性を持って文化を構築していくと、少しは良い方向に働くはず。このクソみたいな世界で数少ない我々の心の拠り所を保存する価値は、創造以上に高まっている。
とは言っても全個人にそれを課すのは難しいし、発信よりも、統一的に観覧する形で享受したいと思う人が殆どだと思う。私はブログを持っていて、全員がそれをしているわけではない。この空間は私が絶対的なホストであり閉じられている。その中での発話は全てポジショントークに過ぎない。
もう少し開かれた状態で、何にも寄りかかることなくいろんな人が思想を体現できる。何かそういうプラットフォームを構築できたら幸いだと考えている。
P.S. この記事についたコメントに反応する形で補足を書きました。是非どうぞ。
コメント
コメント一覧 (10件)
この岩場がどこかもわからない通りすがりで、長くて最後まで読めていないけど、なんか窮屈っすね笑
整備された岩場でもなく、開拓した岩場でも面倒な事言われるんですね。
クライミングって、カウンターカルチャーの側面もあるんじゃないですか。
お年を召していられるなら、知っていらっしゃるでしょう?
なのにクライミングはこうじゃないといけないっていう権威に成り下がってる感ある…
公共の場でもないんだから、お互い自由にいきましょう〜
コメントありがとうございます。
もちろん、法を犯さない限り、人としては何をしてもいいので、窮屈に感じられたのはごく正常なことかと思います。この6000字の冗長な文を最後まで読む根気がないと、貴方のような認識になることは承知しています。これは最後まで読ませる文章力のない私の責任です。
クライミングがカウンターカルチャーであることを理解されているなら本当に話が速い!文化の発生がカウンター的であったというだけで、ここまで拡大したクライミングコミュニティは寧ろ巨大なメインストリームであり、私が言った「面倒なこと」こそがカウンターなのです。多分70年台のヒッピーとか実際話すとクソ面倒くさいはずです。私はむしろ権威的なものに反発するべくクライミングをしておりますので。
読みにくい文章で恐縮ですが、よければ最後の項だけでも読んでみてください。貴方のような意見ある人が、自分の媒体で発信することは貴重なことです。批評には批評返しが必要ですから、ぜひこの文章を批評するものを出してみてください。この界隈がそういう雰囲気になれば、もっと窮屈さはなくなると信じてます。
なお、ソーシャルメディアのコメント機能は忌避しておりましたが、発言に責任を持ちたくない人でも自由に発話できるという意味でここのコメントは有用に働いていると感じました。忌憚なきご意見ありがとうございます。
読む根気って、私の根気の問題じゃないですよ。「文章力のない」って自分で書いているじゃあないですか。
もしかして煽ろうとしてます?
煽るのは、よくないですよん
でもとりあえず論旨からは外れるので置いといて。
「権威的なものに反発するべくクライミング」しているのに、「これは過剰である!クライマーではない!」と言うのですか。
私の認識では、クライミング文化とかいう権威に乗っかっているように見えるんですよね。
なので、いやそれカウンターカルチャーじゃないだろ笑 って思って終わってしまうのですね〜
話は逸れますが最後の段の、このコメント欄は良いものですね。最近はSNSも匿名性が無いようなものですからねー
たびたびのコメントありがとうございます。長くなりそうだったのと、いくつかの理由からあなたに向けて新しく記事を書きました。ご意見あればそちらのコメント欄からどうぞ。今度は半分の3000字なので頑張って根気よく読んでみてください!
https://essential-mountain.com/2026/03/27/teigen-hosoku/
開拓に対する熱い思いに感動しました(^▽^)/
でも岩小屋文庫もめちゃ素敵と思いました。
どっちもカッコイイ!
コメントありがとうございます!
勿体無いお言葉です。岩小屋文庫も発想としては凄くいいですよね。私もやり方がどうかな、、と思ってしまっただけで同感です。忌憚なきご意見感謝です!
開拓者の私有地であれば10本のティックマークも残置物も許容、土地所有者と合意している場合も許容。
開拓者の私有地ではない前提で、おおむね記事の内容には同意。俺なら取り敢えずぶっ壊してゼロにする。
理性が無いと感じるシチュエーションは10年前より増えた。
コメントありがとうございます!
私もほぼ同意見です。なので「客体から」の項で、一番先頭に土地の所有権について書きました。ただ、残置物の是非は所有者であってもどうかなと思うところと(シンプルにゴミなので、、)、感情論だと、所有者だろうがあそこまでするのはどうなんだろ、と思ってしまいます。
昔と比べて変わっていると感じられているのは非常に貴重な見解だと思います。ありがとうございました。
とてもおもしろい文章で、考えさせられるものがありました。
クライミングというカルチャーのコンテキストを学ぶためには、どんな手段があるとMasaさんは思いますか?
私自身これまで受け身のクライミングばかりしてきたと感じているので、よければ教えていただきたいです。
コメントありがとうございます。乱文失礼しました。
コンテキストを学ぶ手段ですが、私はクライミングを始める前から読書が好きだったこともあり、山やクライミングに関する記録や文章は結構読みました。その中で過去どの様なことが行われていたかを知りました。この様にブログを書いて考えや記録を公表しているのも、それに価値があると考えているためです。
また、自分がやること以外の色々なジャンルやスタイル、それを実践しているプレイヤーの考えを横断的に知るというのも有効かもしれません。カルチャーはその内外から影響を受けながら発展してきたもので、思いもよらないところと関連性があったりもします。
あとは、主体的な手段でいくと、普段行うクライミングの解像度を上げるというのも1つの手かもしれません。ただ単に課題に取り付き、登れた登れなかっただけでもいいのですが、何故登るのかという動機を考えるところから始め、クライミングが終わった後もそれを内省することで、不意に自分の中の感情とコンテキストがリンクしてくることがあるかもしれません。
非常に長ったらしく、上から目線で書きましたが、パッと思いついたのはこの辺りです。ご参考になれば幸いです。