ロッククライミングが好きだと言うのは嘘だ

AならばBでありかつBならばAであるとき あれは彗星?
佐クマサトシ「標準時」(『標準時』より)
当然のようにCobra Crackにトライした日々は苦しかった。当たり前だ。苦しむためだけにカナダまで来たんだ。僕はプロジェクトが登れたとしてもそれが至上の喜びかというとそうでもないため、完登の是非を置いておいても、僕は苦しむためだけに来たと言える。攀岩的マゾヒズムの完成である。

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遊んでるようにしか見えませんが、決して遊んでるわけではないのです
佐クマサトシ「内容だけのものが動いている」 (『標準時』より)
僕は自分の人生でクライミングは娯楽に近いものとして捉えている。他の人がどう思うのかは知らないが、プロ(この言葉も大嫌いだ。クライミングしてて1円でも貰った事あったらプロなのか?)以外の素人は全員ただの趣味でしかないわけであり、僕にとっては趣味というより娯楽という言葉を使った方がしっくりくる。
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強いですね、って言葉を言う時がある。後々、無責任だったなと思うことがよくある。誰かが何かの成功を収めた時、僕は彼(彼女)は強い、凄い奴だという認識をする。でも僕はその成功に至るまでにその人がどんな過程を歩んできたのか知らないし、どれほどの苦労があったのか知りえない。僕がこれまで行ってきたクライミングを見て、もしかしたらごく少数の人は僕のことを強いと思うかもしれないけど、僕はそうは思わない。難しいクライミングをした時も、少ない時間で登れた時も、1回目のトライで登れた時も、僕はめちゃくちゃ苦労したし、全然自分が強いとは思ってない。俺普通にV5とかで落ちるし。
同じ理由で、誰かのことを天才だって言うのが本当に嫌いだ。世の中には才能ってものがあるのは理解できるが、僕は持ち合わせていないし(てか本当に天才ってマジで本当に少ない)、同じく天才じゃない人に天才っていうのはマジで最低だし侮辱だと思っている。あくまで主観的な意見にすぎないけど、天才って言われてちょっとでもムカっとしないやつは、そのことに対して対して頑張ってないやつなんだろうなとも思う。天才や才能は、持ち合わせていない人に使った場合、その人がこれまで行ってきた努力や軌跡を否定する最悪の言葉に違いない。もちろん本当の天才にも失礼だ。お前が誰かを天才だという時は、天才じゃない全ての人が、才能という面でそいつより劣っているということを全員に強制していることになる。お前がその言葉を言う時、お前にその覚悟があるか。
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2.で「はい」と答えた方にお聞きします。いいえと答えたので飛ばします
佐クマサトシ「接近はするがしかし重ならない」(『標準時』より)
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自分のクライミングは相対評価に過ぎない。純度が低い。クライミングに純度の話を持ち込むのは嫌いだけど、自分のクライミングが相対評価だからこそ自分のクライミングの純度は格段に落ちている。
俺は世界に1人もクライマーが1人もいなかったら、このカルチャーが存在していなかったら、クライミングをやっていない。それは同時に俺がクライミングのカルチャーが好きだという証左になる。少なくとも、自分にはそれで十分だ。
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油彩画の画面の中に梨がある これ以上言うことができない
佐クマサトシ「still/scape」(『標準時』より)
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僕はクライミングがあんまり好きじゃない。もちろんこれは相対評価の話であり、評価基準によって変わりはする。でも僕の近くにいる優秀なクライマーたちと比べて、僕は圧倒的にクライミングが好きじゃないし、楽しんでもいない気がする。もちろん、世間一般で見たらこんだけやっていたら好きな人だと思われるだろうしそれを否定もしない。もちろんこの遊びが好きだと思ったから続けているわけだけど、その根の深い部分ではそうじゃないのかもしれない。広義な意味ではクライマーだけど、狭義なそれでは僕はクライマーですらない。
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スコーミッシュの滞在が終わりを迎えようとしていた時、思うことがいくつかあった。ここでの生活は僕には少し合っていなかったということだ。僕はクライミングがあんまり好きじゃない。家から岩場までの距離が異常に近いあの土地では、いつでも行けるというのは逆に僕にとっては行かなくてはいけないという束縛のように感じられ、行かなかった時には自責の念に駆られてしまう。本当にクライミングが好きならウキウキと出かけるだろう。夏のスコーミッシュなんてクライマーにとっては理想の土地のはずだ。現にこの夏も、高いお金をかけて1週間とかの短い日程で登りにくる日本んクライマーが沢山いて、当然彼らは毎日体がボロボロになるまで登って、満足そうな表情で夕方の一杯を楽しんでいた。本当にクライミングが好きな人たちだ。
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僕はクライミングがあまり好きじゃない。これまで、時間、お金、情熱、青春、ありとあらゆるリソースを注ぎ込み、さらに大学を休学し、多くのお金をかけ、親に迷惑をかけ、異国で四苦八苦しながらお金を稼いでクライミングをやろうとしたけど、僕はどうやらそこまでこの遊びが好きじゃなかったみたいだ。まぁまぁ凹むよなぁ。
フリークライミングは完全にスポーツとして割り切って捉えない限り、90%くらいの割合で初登を越えることはできない。より良いスタイルで登ったなんでほぼほぼクソだ。体験の質が違う。勿論これはフリーに限った話ではなく、アルパインや沢登りになるにつれてその割合はより上がる。手垢のついた沢登りなんでただのレクリエーションでしかない。
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スコーミッシュを去る少し前に、Tim’s AreteっていうV10を登った。こちらに来た時くらいから目標にしていたとても綺麗なラインだが、2時間くらい頑張ったら登れた。これはまぁ普通に短い時間だなと思うけど、僕はその2時間めちゃくちゃ苦労したし、FLトライの時なんか不可能じゃねと思った。だから登れた時はやっぱり嬉しかった。クライミングをしていて嬉しくなれたから、僕はクライミングが好きだ。
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クリスマス・ソングが好きだ クリスマス・ソングが好きだというのは嘘だ
佐クマサトシ「vignette」(『標準時』より)
僕の中に、クライミングが好きだという気持ちとそうでも無いと言う気持ちが、同時に内在している。悪いことでは無いなって、今なら思える。冒頭に書いたようにアスリートでもライダーでも無い僕にとってクライミングはただの娯楽だし、僕よりクライミングが好きな人はたくさんいるという事実を受け入れるからこそ、モチベーションが低くても、時にあんまり好きじゃ無いと思っても、クライミングが好きだということを言う自由が担保されると思っている。
分かるかなこれ
僕はクライミングコミュニティのメインストリームにいるわけでは無いし、この後もそのシーンの中心に出ていくことは無いだろうなと思う。ここまで辿り着いた人がどれだけいるのかは分からないけど、このブログも誰も興味がない僕の思想を垂れ流すことである種の選民的な効果があって、誰にも読むことを強制していない代わりに僕が読者側に負担を強いる自由を必死で守っている。意図していないのに他人の思想が目に入るsnsのような構造ではない媒体で僕が文章を書くのは、僕の中の純粋さを守るための自己防衛の手段の一つなのかもしれない。
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と言うところで音楽に引き続き雨の読書の番外編と、お気に入り短歌5首です。自分が大好きな歌人の佐クマサトシさんの第一歌集、『標準時』。ぜひ活字で読んでみてください。
また、少し気になったと言う方は、平英之、永井亘さんと共に活動しておられたweb同人誌、TOMも覗いてみてはいかがでしょう
それではまたまた
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